東日本大震災アーカイブ

あの時、学校は 稲田小(須賀川市)床一面ガラスの海

 2011年3月11日に東日本を大地震が襲い、須賀川市も震度6強を記録した。地震の破壊力はすさまじく、市街地のビルや建物の全壊、半壊、道路の破損、陥没、液状化現象、藤沼湖の決壊による水害などがあった。県内内陸部の中では被害がかなり大きかった地域だ。

 この日は全学年5校時で、午後2時45分ごろは一部の児童の下校が始まっていた。ほとんどの学級で帰りの会をしていた。午後2時46分に大きな揺れが学校を襲った。校内放送で机の下に身を隠すよう指示。発生当初はすぐに収まるだろうと思ったが、すさまじい揺れは止まらない。3分後やや弱くなった時に校庭に避難指示を出そうとしたが、再び揺れは激しくなった。児童を移動させることは落下物の危険性が高く無理と判断。地震発生から6分後、ようやく揺れが収まり、校庭中央への避難を指示した。下校途中の児童も全員学校に戻ってきた。名簿にチェックを入れながら児童全員の無事を確認した。ショックと恐怖、不安で泣き叫ぶ子どもたち。教職員が「みんなを守るから大丈夫!」と声を掛けて励ました。

 校舎内を急いで確認すると運良く電気系統は無事でテレビで震災の状況を確認できた。校舎東側の地盤が下がり、校舎外壁の中央部に亀裂が入り、校舎内も、あらゆる物が崩れ散乱していた。体育館の窓枠は外れ床一面ガラスの海となり、危険で到底入れない。風に小雪が交じりかなり寒かったが、余震が断続的に発生している状況で、児童を校舎内に入れることは断念した。校庭中央にゴザを敷き、毛布を用意し、子どもたちをなるべく集めて待機させた。

 保護者と電話で連絡が取れず、迎えに来てくれた保護者に児童を引き渡していった。大災害の中、続々と保護者が学校を訪れ、全員を無事引き渡せたのは午後5時すぎだった。

 今回の震災ほど、とっさの判断が要求されたことはない。経験も大事だが、日頃から物事のさまざまな可能性を考える姿勢が重要であることを学んだ。また、教職員が寄り添うことが児童の心の大きな支えになることを痛感した。これからも続くであろう震災の影響に前向きに立ち向かっていきたい。(佐藤勇人校長談)

 稲田小 須賀川市南部に位置する創立139年、児童数236人の中規模校。学区は、市街地から南西方向に約5キロにある農村地帯で、新興住宅地と昔ながらの農家が混在する。

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